私はTwitterをやっているのだけど、前日の夜のツイートを翌朝に見るたびにまったくの別人を見ているような気分になる。
朝と夜のテンションは恐らく誰だって違うものだけれど、私はそれが本当に顕著だと思う。
テンション、と言うのも間違いかもしれない。夜でも朝でも私は常にまぁまぁフラットだし、気分がアガッているから夜中に様々なツイートをしている訳でもない。
じゃあ何で、と言われるとわからない。何だか別人のようなのだ。朝に夜の自分を見ると、単純に「ノリが違う。この人とは仲良くなれないな」と思う。具体的に何が異なるのかはまだ言語化できていない。
だって、何が違っているのか、ツイートの内容を見ても全然わからないのだ。何となく、ノリが違う。でもやっぱり自分だから、考え方や思想は同じで、でもどうしても好きになれない。
だから私がまず起きてやることは「夜中の自分の監視」だ。変なことを言っていないか、本当にこのツイートは残しておいても良いのか。気になるものは消して、最終的に夜の私の呟きは半分ほどの量になっている。
ふと、夜の私は「自分をよく見せたい」という策略を持たないのではないか、と思った。
私はいつだって人によく見られたくて、素敵な自分だけをお出ししたいと思っている。見栄っ張りの完璧主義(そんな良いものでもなく、プライドが無駄に高いナルシストとも言える)で、それはSNSの挙動に関してもそう。
夜中の私は一日働いて、疲れて、ただふわふわと思ったことを垂れ流すだけのアカウントになる。
取り繕わない自分がそこにいて、だからこそしっかり寝て休んで、朝になってそんな自分を見た時に無神経さや洗練されていなさが目につくのかもしれない。
だとしたら、私は飾らない自分のことはあんまり好きではないのかもしれない。私は私のことが好きだけど、それは朝の私であって夜の私ではない。取り繕えなくなった自分は重荷で、高い高いプライドを支えるお供にするには些か邪魔になる自分なのだ。
私はおそらく、自己愛をもって自分を嫌っている。