かちかが生きてる

日記を書くよ

2024.4.24 休職するぞ!

 

一ヶ月休職することになった。

適応障害だ。

 

しかし、休職すると決まった瞬間なんだか元気で、休職するのが怖くなってきている。

休職ブルー(類語:マリッジブルー)だと思う。

 

 

しんどくてしんどくて仕方なくて、ようやく休めると思ったら途端に元気になる。そうして、「何だ、元気じゃん!休む必要ないね!」と思って休みの予定を取り消して、後になって泣きを見た経験が山のようにある。

その時元気になったとて、「休みが取れる」という目先のご褒美で刹那的にハッピーになっているだけなのだから。その元気の源であるお休みの予定を取り消しなんてしたら、ギリギリ残っていた気力も使い果たしてボロボロになるのは目に見えているのだ。

分かっているのに、いつも「元気なのに休んでいいの?」「休む必要なんてないんじゃない?」と思って、いつも失敗をする。

学んではいるのだ。ただ、学んだことを実行できるとは言っていない。元気なのに休む罪悪感に耐えられない。

 

 

 

そういえば、私はわりと、断るということを知らないタイプらしい。

断れない、というより、断るという選択肢がない。

 

最近、少し無茶なスケジュールで仕事を振られた際、「まぁ残業すればギリギリ間に合うし、それなら相手に迷惑もかけないかな」と思って、それで大丈夫です、と連絡しそうになった。それがいつも通りだし、実際上手くいっていた。

しかし、それを見ていた上司から「いや、そういう時は相手にスケジュール調整しないと」と注意されてしまった。

そうなのか、と思った。

 

私は仕事を「無茶を言われても頼まれたなら何とかする」ことだと思っている。お金を貰っているプロとして、多少無理なことを言われても頑張らねばならない。

 

それは多分、間違っていない。

でも、普通は無茶な日程に意義を唱えるべきだし、仕事は断ったっていいのだ。いいらしい。

 

私は無茶をしているなんて自覚は無いし、変な言い方になるが、そもそも「無茶を通す」ことを「無茶」だと思ったことがなかった。

私は抵抗をしない。不当なことを不当だと認識できないからだ。

何かを頼まれたら、あるがまま、それを変えようなんて思わない。変えられるとも、露ほども思わない。

 

 

しかし、それによって明確に、心身ともに不調は出ている。

 

結局休職という結果になってしまって、情けない。弱い。だめだめ。周りに迷惑をかけてしまう。これまでちゃんと出来ていたのにどうして!と思う。

でも休職という選択をしたのは自分であり、それはもう自分は限界なのだと思ったから。

 

休めると決まって、今の私はとても元気だ。むしろ、元気なのに休んでしまうことへの罪悪感だけが残って、なんだか虚無といってもいい感情でいる。

私は休んでいいのだろうか。迷惑をかけてまで。もうちょっと頑張れるのではないか。今のままやっていけるのではないか。

 

でもやっぱり、私はやっていけないくらい限界だったのだ。

その判断をした時の自分を、今は信じてやりたい。

もう駄目だ!とようやっとSOSを出せた、数日前の私を蔑ろにしないでやりたい。

 

だから、今はこの罪悪感に蓋をして、どうにかこうにかのんびりと羽を伸ばしたいと思う。

休職は来月から。

 

2024.2.19 生きてて偉いがうざい

 

 

最近精神の調子も肉体の調子も悪くて、高校生の時ぶりに心療内科へ行ってみた。

 

最近、大層調子が悪かった。

朝は異様にだるくて、夜は中々眠れなくて、休日は丸一日寝ていて、外出する趣味は全部丸潰れ。家の中でできる趣味ならできるかと思えば全然できないし、食事も全然おいしくないし、皿は溜まりっぱなし。

それなりに悪くない一人暮らしを一年近く続けられていた私にとっては大打撃で、ついでに言えば職場での信頼も大打撃だ。

これはまずい、と思ってとうとう心療内科へ駆け込んだ。

 

結果として、私は心療内科の先生の前でずびずび泣いてしまった。

思えば、ここ一年ほど、しんどかったのに、しんどいから、と自分のために泣いたことは一度も無かったように思う。

泣きたかったが泣けなかったのだ。先生には、環境が変わったことによる過剰適応だと診断を受けた。

 

新しい環境で、「ちゃんとしよう」とし過ぎたのだと。一人で地に足を付けて頑張っていこう、できるだけちゃんと、ちゃんと、頼らず。そう思って、過剰に環境に合わせて自分を変える過程で神経を張り詰め、疲れてしまったのだと。

 

貴方は気丈に振舞っているように見える、と言われた。頑張った自分を認めてやっていいと思う、と言われた。

そして、つい自然と涙が出た。しゃくり上げて止められないような泣き方はいつぶりだったろうか。

 

自分で「当たり前」と課してきた環境への適応を、本当は無理をしていたということへの自覚、そしてそれを他人から教えて貰えたことへの安堵。

私は認めてもらいたかったのだろうか。

正直、無茶している自覚はなかった。

 

自分はしんどいのだと、自分は大変なことをやっているのだと、自分は偉いのだと、認めることは重要なのかもしれない。

 

思えば、私は自分への期待値が高いのだ。もうちょっとできると信じているし、もうちょっとやれるやつだと思っている。

でもそんなことはないし、私はあんまりできないやつだし、でも、それでもとびきり頑張っているらしい。

 

私は、「生きてて偉い」という言葉が大嫌いだ。舐めてんのか、と思う。

でも、多分生きてて偉いのだ。

その言葉を受け入れるには未だ癪だが、恐らく受け入れなければ始まらない。

そして恐らく、自分に期待し過ぎないことが大事なのだ。自分はそんなにできるやつではなくて、頑張って頑張って生きているのだと。

 

私は、生きてて偉いのだと認めなくてはならない。

2023.7.9 思い出補正はうざい

 

私は多感な十代の頃結構な鬱だったのだけれど、しかし世界は綺麗に見えていた気がする。

 

空の色が美しいだけで足を止めて見入ってしまうことがあったし、それが当たり前だったような気がする。

今住んでいる街もそこそこ綺麗な夕日が見れるのだけど、それに感動したことは一度もない。

 

私があんなに空に感動できたのは、「心を病んでいたから」なのか「若さゆえ」なのか、はたまた「心を病んでいたとしても、そこは輝かしい青春を過ごした場所だったから」なのか。

輝かしいかはわからない。部分的に楽しかった気がする。楽しさの瞬間風速が速くて、それに引き摺られている気がする。

 

思い出は美化されるものだというけれど、その中でも特に当時大変で大変でつらくて仕方なかったけれどやり遂げたことが一番美化されがちだ。苦労は後に残らなくて、栄光だけが今残る。「でも、何だかんだ楽しかったよね」とか言い出す。そうだったか?当時の私がそれを聞いたら怒らないか?

私は、べつに「あのとき頑張っていた自分」という思い出が自己肯定感には繋がらないので、そういうものは勝手に生えてきてくれればいいのに、と思う。

2023.5.31 頭を空っぽに

 

ちょっと日記の間が空いてしまった。

 

ここしばらくの間は、疲れた心を癒していた。具体的に言うと、何も考えないようにしていた。これがかなり難しい。

 

私の仕事は、クリエイティブ職ではあるのだけど今入っている作業が中々に単純作業で、淡々とこなしているうちに余計なことまで考えてしまう。

延々人生や未来のことを考えていると、まだ考えなくてもいいことまで気になって気になって、すぐに無理やり解決したくなってしまう。私はタスクは積み上がる前に片付けたくなるタイプなのだ。だから、あまり先のことを考えない方が良い、のだけど。考え事が捗りすぎるのも考えものだった。

 

ここしばらくの鬱もそれが原因で、未来のことを考えたことをきっかけとしてパートナーと普段はしないような込み入った話を出来たことは良かったけれど、それ以外は本当にただ単純に気分が落ち込んで、自分のことが嫌いになるばかりだった。

 

最近になってそこそこ頭を使う作業で忙しくなって、ほどよく問題から目をそらせていると思う。

それは多分、「必要なこと」なのだと思う。 辛いことを直視すればつらい、なんてことは誰でもわかっているけれど、しかし「じゃあわかった。見ないようにする!」と出来る人がどれだけいるのか。そも考え過ぎてしまうタチだからこんなことになっているのに。

 

私は元来ネガティブなたちで、その癖呑気なところがある。さらに詳しく言えば、不必要なところでネガティブになって、確証もないのにポジティブになったりもする。ちぐはぐなのだ。 コップに半分入っている水は「もう半分しか残っていない」と思うし、土曜日の夜には「もうお休みが半分しかない」と思う。半分過ぎたら「もう大体無い」だ。

しかし、その割に自分の人生はこれから先も何だかんだそれなりに悪くない形で続いていくのだろうとも思っている。私は高校生の頃勉強が嫌いで、成績も散々だったのだけど、何となく受験も何とかなるだろう、と思っていた。実際美大の推薦で何とかなった。

人生単位で見ればポジティブなのだろうか?と言われればそうでもなくて、ああ、これからの人生どうしよう。という瞬間も確かにやって来る。自分のネガポジの法則性はわかっていない。

 

今回私が悩んでいたのは恋愛観についてだった。

私は人を愛することをするけれど、私にとっての愛とは「愛する」「特別に想う」で終了するものであり、「だから交際したい」「だから手を繋ぎたい」「だから結婚して生涯を共にしたい」とはあまり思わない。今のパートナーとも、最初に相手が私に惚れてくれていたので、ならば、と「好きな相手の望みを叶える」形で始まった仲だ。ちゃんと好きだ。だからどうという訳でもないだけで。

 

恋愛とは、アプローチをして、告白をして、交際して結婚して…というお決まりの流れがあって、それが当たり前の世界で、私は生きにくいような気がした。

否、正確に言えば、そんな私と付き合っているパートナーに申し訳ないと思った。パートナーはごく一般的な恋愛観を持っていて、まぁまぁ嫉妬もするタイプ。私はしない。相手が幸せということさえわかっていれば別にそれが私の隣でなくとも構わないからだ。こういう認識の違いは、多分、積み重ねればガタが来る。

 

…そんな感じのことで悩んでいた。

今はもう解消されたのかと言われればそんなことはないのだけれど、そこはいい具合に「目をそらして」いる。

生きるのに不器用だけど、器用な時もあるのだ。

 

 

 

そうだ、少しは私のメンタル以外のことも書きたいと思う。

 

私はミュージシャンのharuka nakamura氏が好きなのだけど、彼が男性であるということを今日初めて知った。

私は好きな音楽や好きな本など、好きなのは作品であって作者について大して興味はなく(ここでもある意味で"無関心"が出る!)、わざわざ調べることもないので好きなコンテンツについて驚くほど無知であることも多い。

今回もその例で、私は彼が男性であることも、具体的に「haruka nakamura氏」が今聞いている作品のどこを担当しているのかすら知らなかった。ピアノなのか?歌唱なのか?作曲なのか?作品全体として好きなら別にそのあたりはどうでもよかった。「haruka nakamura」という名前で活動するアーティストグループだったらびっくりするかも、くらいのことしか考えていなかった。

 

今日調べてみる気になったのは本当にただの気まぐれで、しかし見てみると案外どうして面白い。インタビューなどを読み曲にかけた想いを、一体どんな状況でその作品を作り上げたのか知るだけで楽しみ方が二個にも四個にも増え、あれ、なんだ、と思った。

そうだ。私はエッセイによって人の内面を知ることが好きだった。

ならば、好きな作品を生み出す人のことを知るのなんて楽しいに決まっている。 何故気付かなかったのだろう。テンプレート化したまとめサイトに載っているような学歴、出身地、交友関係なんかのミーハーっぽい情報も、彼らを生み出し育て上げた人生の一部だというなら愛しいような気がした。

そうか。周りの人々は、そこから愛しい人達の足跡を探すためにネットの海に彼らの「個人情報」を探したのか。と思った。愛してやまない作品の源流を探すために。

 

 

長々と考えるならこういうことがいいな、と思った。社会に迎合出来ない自分の話よりかは、灯台の光みたいな音楽や好きな人達のことを考えていたい。

2023.5.21 本当は何も大丈夫じゃなかった

 

たくさん物事を考えて、それが何も出力できない日。

そういう日が続いている。

 

ここ数日、通勤中も仕事中も、家にいる時も、ずっと様々なことを考えている。

自分のこと、パートナーのこと、将来のこと、(私にとっては)結構深刻なことが多いのだが、いざこうして思考をまとめようとすると一向に形になってくれない。

 

日記は私の代表的な拠り所なのだ。

高校生の時、一番多感で一番心が大変だった時期も私は日記をつけていて、それのお陰で幾分楽になっていたという記憶もある。

だから、何も書けないと、つらい。

 

 

何も書けないのは、考えていた物事が多すぎたせいかもしれない。だからまとめきれないのだろう。ならば、話題をどうにか一つに絞ってみたい。

 

 

先日パートナーに、「あなたは推理やひらめきは凄く鋭いのに、自分のことになると物凄く鈍いよね」と言われた。

非難、といった雰囲気ではなく、全く仕方ないんだから、といった様子だったが、何となく私はその言葉がずっと胸の中にいる。

何だか優秀だけれど自分のことに無頓着な探偵みたいな評価でかっこいいな、と少し思ったけれど、別にそれだけではない。

 

そうなのだ。私は鈍い。

これまで学校や会社など様々なコミュニティに属してきて、その中でも特に距離の近い、特別な友人(もしくは恩師だったり、恋人だったりする)にのみ、私は「鈍いよね」という言葉で形容されてきた。決まって、特に交流の深い、私の深部まで知っている相手は口を揃えてそう言った。ならばそうなのだろう、と思っている。

確かに私はかなりすっとぼけた奴で、自覚してはいるからかなり気を張って「真人間」を頑張っている。直し方も知らなかった幼い頃は本当に、本当にてんでだめだめな子だった。

 

だから、取り繕い方を覚えられて良かった。

良かった、と思う。

しかし、「自分に鈍い」私は完璧に取り繕えていると、それも勘違いしているのではないか、と最近思うようになった。

きっかけは数週間前。突然体調が絶不調で、朝起きるのも何をするにもだるくて夜も眠れなくて、困り果てていた時期があった。ちょうどその頃飲み始めた薬の副作用かと思って放っておいたけれど、タイミングよくGWに入ったのち、結果的に「たくさん休む」ことでその不調はものの見事に解消された。不調の理由は「疲れ」だったらしい。

私は私の疲労を察してやれない。

思えばあの時の不調は疲れた時のそれであり、もっといえば高校生の頃、私が最も盛んに日記をつけていた頃にそっくりだった。

 

私は大学に上がって、社会人になって、もう「大丈夫」になったものだと思っていた。

色んなことが前よりうまく出来るようになって、毎日辛くなくて。でもそれは、外面をそこそこ繕えるようになった満足感で覆い隠せていただけなのではないかと。

本当はずっと、全然大丈夫なんかじゃなかった。

 

それに気付いて、私の身に起こっていたすべての理由がわかった。

夜中に突然涙が出るのは人より涙腺が緩いからではなくて、しんどいから。

誰にも頼れないのは気が緩んだら本当はしんどいことに気付いてしまうから。

 

でも、だからと言って出来ることはなかった。せいぜい、休みを多く取るようにするくらい。私は私が気付かないくらい、まるで「大丈夫」みたいな顔で生きていけるようになったのだから、それままでもいいんじゃないかな、とも思うのだ。

結局、私は誰にも頼れないし、弱い人間であるのだとわかられたくない。寄りかかりたくないし、寄りかかりたいと思っていると思われたくもない。

多分そうやって、見栄っ張りの意地っ張りのまま生きていくのだと思う。

 

何だかなぁ、と思った。

もうちょっと、器用に生きたい。

2023.5.16 サボテンってトゲを飛ばさないんだ

 

題名通り。

サボテンってトゲ、飛ばさないんだね。

 

私はこれまでの20数年を、「サボテンには知能があり、気に食わないやつにはトゲを飛ばしてくる」と思い、それを常識として生きてきた。

私はサボテンのことが結構好きで、でも「トゲを飛ばしてくる可能性があって怖いから」飼わないでいた。飼う、という表現を使うことからもわかる通り、私はサボテンを"生物"として見ている。

 

自分の間違いに気付いた理由は、最近自分の機嫌を取る方法が「食」一辺倒だな、他に楽しみを設けよう、そうだ、サボテンを飼ってみようか、と思い至ったことが発端だ。

飼ってみたい、でもどうしよう、あいつらトゲ飛ばしてくるから怖いんだよな。

そう考えて、ピン、と頭の中に小さな音が鳴った。…本当に?サボテンって本当にトゲを飛ばすのかしら。思えば、母親以外に「サボテンがトゲを飛ばす」話をしている人間を見たことがない気がする(この話は後述)。あれっ、あれ、……と考えて、Googleで「サボテン 針を飛ばす」と入力する。

 

「一般的なサボテンはトゲを飛ばすことはないが、うっかり触ったりしないように注意が必要だ。」

 

えっ

 

そうなの!?

 

ちなみに会社での出来事だ。がっつり仕事中、定時の一時間前に衝撃の事実を知ってしまった。

その後一時間は全然身が入らなくて、お供のコーヒーの減る速度もいつもの半分以下。退社の時に一気に飲み干した。

そうして、決めた。今日はサボテンを買って帰ろうと。確かめてやろう。奴らはトゲを飛ばすのか、飛ばさないのか。

 

 

会社用の鞄と食料品が入ったエコバッグを提げたまま自宅の近くの園芸店へ歩いて、道中母親へ文句のLINEを送った。

というのも、私が「サボテンはトゲを飛ばすもの」という認識を持ったのは母のせいだった。

幼い頃母は、店頭でサボテンを見かける度に昔サボテンの針に刺された話をした。ずらりとサボテンが並ぶ中を歩いていたら、触れてもいないのに手が細く小さなトゲまみれになったというのだ。自分の手がサボテンのようだったと母は言っていた。私はそれを何となく覚えていた。

母親は幼い頃、弟(つまり、私の叔父にあたる)に「たまごボーロ」の名称を「マルコ・ポーロ」と教え込み学校で赤っ恥をかかせた前科のある人間である。やられた!と思った。20数年も騙された!この野郎。

そんな気分でおり、しかし母親の返信は予想外のもので。

 

「ねえ!!!ねえママ!!(私は未だに母親のことをママと呼んでいる)ママのせいで今の今までサボテンが自発的にトゲ飛ばしてくると思ってたんだけど!!!!」

「飛ばすよ  手がサボテンになったもん」

 

しらを切る気か、とは思わなかった。母はいつも、ジョークの引き際は弁えている。

 

いざ話を聞いてみれば、そのエピソードは実際虚言でも何でも無いらしい。ますますわからなくなってきた。

本当は私の認識が合っているのではないか?みんな、嘘をついていないか?そんな風に思うけれど、Twitterのフォロワーさんたちは真実を知った私を見てサンタさんの正体が両親だと知った子供を見るような目をしている。なんだ。何なんだ。恥ずかしくなってきた。

 

 

紆余曲折あって、現在私の家には一人(今、自分で無意識に"一人"と書いてしまい驚いた)のサボテンが居る。

こじんまりとして、まるっこい。小さな子分がくっついている。花が咲きそうな部分があるけれど、私は数時間前までサボテンがトゲを飛ばしてくると思っていたようなサボテン素人なので、今の状態からどれほどの期間で開花するのかてんでわからない。

まるまるとしたそれがかわいくて、何度も撫でそうになる。友人に全力で止められた。

 

突然だが、私には「やんわりゾーン」という精神状態がある。「ゾーンに入る」という言葉があるが、その中でもやさしくてまるまるとしていて、物事を余裕を持って見ることのできるゾーンのことだ。

サボテンのお陰か、今私はそのやんわりゾーンの中にいる。特段嬉しくも悲しくもないけど、心が良い意味で静かで、良いアイデアもいつもより浮かんでくる気がする。私が一番好きな精神状態。サウナで"整う"とはこんな感じだろうか。違う気がする。

何はともあれ、ありがとう、サボテン。やっぱり何かを愛でるのはいいことなのかもしれない。花が咲くのも楽しみだ。こうして私は当初の目的を忘れていく。

 

 

折角なので、サボテンに名前をつけることにした。ちいさいのにトゲが立派で凛々しいので、「とげ子」ちゃんにした。やんわりゾーン、別名お花畑モードに入ってしまった私にネーミングセンスは無かった。

 

その後偶然、フィンランド語の挨拶が「モイ」と言うのだと知り、そのかわいい響きは名前にぴったりだったな、と思った。

あとの祭りである。今度追加で多肉植物でも飼おうと思う。

2023.5.15 小川洋子が読めなくなった

 

小川洋子が、読めなくなった。

 

私は高校生の時からずっと小説家の小川洋子のことが大好きだ。家の本棚には「小川洋子ゾーン」が存在するくらい好きだ。好きな作家と聞かれればいつも小川洋子と答えたし、彼女の作品なら何でも読んだ。思えばエッセイの楽しさを知ったのも小川洋子のお陰だった。

 

そんな小川洋子好きの私が、読めなくなった。

 

原因はわかっている。

川内有緒さんの「目の見えない白鳥さんとアートを見に行く」という本を読んだからだ。

 

本著は題名通り、全盲の美術鑑賞家兼写真家の白鳥さんと各地のアートを見て回るエッセイだ。

目の見えない白鳥さんは、しかし、同行する人々がその美術品について語り、考え、意見や感想を述べる、それに耳を傾けることで「芸術鑑賞」を行う。その目で作品が見えなくとも、誰かの目を、脳を、口を通して出てきた言葉が輪郭となり、白鳥さんの目にも、確かに見えるものがある。

 

意訳だが、白鳥さんはこんなことを言っていた。

全盲でも何も特別なことはなくて、よくある話としては「目が見えない代わりに耳が良い」なんて偏見をよく聞く。俺はそれに当てはまらないし、でも耳が良い全盲人、鼻の良い全盲の人に会ったこともある。つまりは、自分たちだって目が見える皆と同じように、「たまに耳が良い人がいる」「たまに鼻が良い人がいる」だけに過ぎないんだ」

「みんな、見えないことを不幸なことだと思わけれど、自分はずっとずっと光のない世界で生きてきたから、それで不便だと思ったことは無いしこれが自分にとっての当たり前だ。健常者に近づくことだけを幸福だとは思わない」

 

全盲は何も特別なことではない。彼らにとってはそれが「普通」であり、「目が見えないのは大変でしょう」という思いやりも、「全盲だろうと人一倍努力して健常者に近づくということはいいことだ」という思想も、それらは一種の差別意識や優生思想である。

それは悪ではない。ただ、自分の中にもそういう心があるのだと、知り、認めなければならない。

 

 

そんな思考を得たのちに、私は小川洋子/堀江敏幸著「あなたは切手を、一枚貼るだけ」を読んだ。

 

「昨日、大きな決断をしました。まぶたをずっと、閉じたままでいることに決めたのです。」という書き出しを読んだ瞬間、おやっ、と、いやな予感がした。

読み進めて、予感は確信に変わった。私は、その本を読み進めることが出来なかった。

 

まぶたを閉じたままでいることを決めた。言うなれば後天的に自発的に、擬似的に全盲になる人間。それは「全盲」に神秘を感じ、憧憬する行為だった。見えないからこそ見えるもの、を求めて、非日常としての全盲に飛び込む行為。それは、ちょっと違うんじゃないの、と。

もう少し読み進めたら、そんなことはないのかもしれない。そもそも小説の内容。筆者の思想かと言えば全然そんなことはなち。小川洋子さんの作品は「本人は心の綺麗な人間だと思いながら生きているけど、人から見れば何だかいやなひと」もたくさん小説に登場するから、今回もそれかもしれない、と思う。

けれど、怖くてそれ以上読むことが出来なかった。もしかしたら、私は大好きな作家を嫌いになりたくなかったのかもしれない。「大好き」は、「大好き」のままで思い出になっていて欲しい。

私はその日から、小川洋子さんの本は読んでいない。

 

彼女の作品に、あらゆる全てを標本にして、預かっていてくれる店が登場する。思い出の曲、火事で負った火傷、昔に事故で欠けてしまった薬指。標本にすることで、有り体に言えば、依頼人たちは気持ちの整理を行う。手放すのではなく、捨てるのではなく、標本にする。

私にとっての「標本」は、小川洋子その人だった。

 

 

多分、小川洋子さんを嫌いになることはないだろう。読むことは、減るかもしれない。

これはきっと、誰が悪いでもなくて、私が「小川洋子の小説」のターゲットから外れてしまったのだ。ある日突然、予想だにしていない場所からの衝撃で。

ぽろっ、と平均台から落ちた私は、最近は昔好きだった児童小説なんかを読み返している。結局それも、懐かしいけれどあんまり面白くなくて、好きになれなかった。当時、子供からちょっとだけ大人になって、ターゲットから外れた小説たち。趣味嗜好、思想や考え方が一巡して、もう一回くらい、その矢の射られる先に私はいないかしら、と思ったのだけど、そんなことはなかったらしい。