一ヶ月休職することになった。
適応障害だ。
しかし、休職すると決まった瞬間なんだか元気で、休職するのが怖くなってきている。
休職ブルー(類語:マリッジブルー)だと思う。
しんどくてしんどくて仕方なくて、ようやく休めると思ったら途端に元気になる。そうして、「何だ、元気じゃん!休む必要ないね!」と思って休みの予定を取り消して、後になって泣きを見た経験が山のようにある。
その時元気になったとて、「休みが取れる」という目先のご褒美で刹那的にハッピーになっているだけなのだから。その元気の源であるお休みの予定を取り消しなんてしたら、ギリギリ残っていた気力も使い果たしてボロボロになるのは目に見えているのだ。
分かっているのに、いつも「元気なのに休んでいいの?」「休む必要なんてないんじゃない?」と思って、いつも失敗をする。
学んではいるのだ。ただ、学んだことを実行できるとは言っていない。元気なのに休む罪悪感に耐えられない。
そういえば、私はわりと、断るということを知らないタイプらしい。
断れない、というより、断るという選択肢がない。
最近、少し無茶なスケジュールで仕事を振られた際、「まぁ残業すればギリギリ間に合うし、それなら相手に迷惑もかけないかな」と思って、それで大丈夫です、と連絡しそうになった。それがいつも通りだし、実際上手くいっていた。
しかし、それを見ていた上司から「いや、そういう時は相手にスケジュール調整しないと」と注意されてしまった。
そうなのか、と思った。
私は仕事を「無茶を言われても頼まれたなら何とかする」ことだと思っている。お金を貰っているプロとして、多少無理なことを言われても頑張らねばならない。
それは多分、間違っていない。
でも、普通は無茶な日程に意義を唱えるべきだし、仕事は断ったっていいのだ。いいらしい。
私は無茶をしているなんて自覚は無いし、変な言い方になるが、そもそも「無茶を通す」ことを「無茶」だと思ったことがなかった。
私は抵抗をしない。不当なことを不当だと認識できないからだ。
何かを頼まれたら、あるがまま、それを変えようなんて思わない。変えられるとも、露ほども思わない。
しかし、それによって明確に、心身ともに不調は出ている。
結局休職という結果になってしまって、情けない。弱い。だめだめ。周りに迷惑をかけてしまう。これまでちゃんと出来ていたのにどうして!と思う。
でも休職という選択をしたのは自分であり、それはもう自分は限界なのだと思ったから。
休めると決まって、今の私はとても元気だ。むしろ、元気なのに休んでしまうことへの罪悪感だけが残って、なんだか虚無といってもいい感情でいる。
私は休んでいいのだろうか。迷惑をかけてまで。もうちょっと頑張れるのではないか。今のままやっていけるのではないか。
でもやっぱり、私はやっていけないくらい限界だったのだ。
その判断をした時の自分を、今は信じてやりたい。
もう駄目だ!とようやっとSOSを出せた、数日前の私を蔑ろにしないでやりたい。
だから、今はこの罪悪感に蓋をして、どうにかこうにかのんびりと羽を伸ばしたいと思う。
休職は来月から。