たくさん物事を考えて、それが何も出力できない日。
そういう日が続いている。
ここ数日、通勤中も仕事中も、家にいる時も、ずっと様々なことを考えている。
自分のこと、パートナーのこと、将来のこと、(私にとっては)結構深刻なことが多いのだが、いざこうして思考をまとめようとすると一向に形になってくれない。
日記は私の代表的な拠り所なのだ。
高校生の時、一番多感で一番心が大変だった時期も私は日記をつけていて、それのお陰で幾分楽になっていたという記憶もある。
だから、何も書けないと、つらい。
何も書けないのは、考えていた物事が多すぎたせいかもしれない。だからまとめきれないのだろう。ならば、話題をどうにか一つに絞ってみたい。
先日パートナーに、「あなたは推理やひらめきは凄く鋭いのに、自分のことになると物凄く鈍いよね」と言われた。
非難、といった雰囲気ではなく、全く仕方ないんだから、といった様子だったが、何となく私はその言葉がずっと胸の中にいる。
何だか優秀だけれど自分のことに無頓着な探偵みたいな評価でかっこいいな、と少し思ったけれど、別にそれだけではない。
そうなのだ。私は鈍い。
これまで学校や会社など様々なコミュニティに属してきて、その中でも特に距離の近い、特別な友人(もしくは恩師だったり、恋人だったりする)にのみ、私は「鈍いよね」という言葉で形容されてきた。決まって、特に交流の深い、私の深部まで知っている相手は口を揃えてそう言った。ならばそうなのだろう、と思っている。
確かに私はかなりすっとぼけた奴で、自覚してはいるからかなり気を張って「真人間」を頑張っている。直し方も知らなかった幼い頃は本当に、本当にてんでだめだめな子だった。
だから、取り繕い方を覚えられて良かった。
良かった、と思う。
しかし、「自分に鈍い」私は完璧に取り繕えていると、それも勘違いしているのではないか、と最近思うようになった。
きっかけは数週間前。突然体調が絶不調で、朝起きるのも何をするにもだるくて夜も眠れなくて、困り果てていた時期があった。ちょうどその頃飲み始めた薬の副作用かと思って放っておいたけれど、タイミングよくGWに入ったのち、結果的に「たくさん休む」ことでその不調はものの見事に解消された。不調の理由は「疲れ」だったらしい。
私は私の疲労を察してやれない。
思えばあの時の不調は疲れた時のそれであり、もっといえば高校生の頃、私が最も盛んに日記をつけていた頃にそっくりだった。
私は大学に上がって、社会人になって、もう「大丈夫」になったものだと思っていた。
色んなことが前よりうまく出来るようになって、毎日辛くなくて。でもそれは、外面をそこそこ繕えるようになった満足感で覆い隠せていただけなのではないかと。
本当はずっと、全然大丈夫なんかじゃなかった。
それに気付いて、私の身に起こっていたすべての理由がわかった。
夜中に突然涙が出るのは人より涙腺が緩いからではなくて、しんどいから。
誰にも頼れないのは気が緩んだら本当はしんどいことに気付いてしまうから。
でも、だからと言って出来ることはなかった。せいぜい、休みを多く取るようにするくらい。私は私が気付かないくらい、まるで「大丈夫」みたいな顔で生きていけるようになったのだから、それままでもいいんじゃないかな、とも思うのだ。
結局、私は誰にも頼れないし、弱い人間であるのだとわかられたくない。寄りかかりたくないし、寄りかかりたいと思っていると思われたくもない。
多分そうやって、見栄っ張りの意地っ張りのまま生きていくのだと思う。
何だかなぁ、と思った。
もうちょっと、器用に生きたい。