かちかが生きてる

日記を書くよ

2023.5.31 頭を空っぽに

 

ちょっと日記の間が空いてしまった。

 

ここしばらくの間は、疲れた心を癒していた。具体的に言うと、何も考えないようにしていた。これがかなり難しい。

 

私の仕事は、クリエイティブ職ではあるのだけど今入っている作業が中々に単純作業で、淡々とこなしているうちに余計なことまで考えてしまう。

延々人生や未来のことを考えていると、まだ考えなくてもいいことまで気になって気になって、すぐに無理やり解決したくなってしまう。私はタスクは積み上がる前に片付けたくなるタイプなのだ。だから、あまり先のことを考えない方が良い、のだけど。考え事が捗りすぎるのも考えものだった。

 

ここしばらくの鬱もそれが原因で、未来のことを考えたことをきっかけとしてパートナーと普段はしないような込み入った話を出来たことは良かったけれど、それ以外は本当にただ単純に気分が落ち込んで、自分のことが嫌いになるばかりだった。

 

最近になってそこそこ頭を使う作業で忙しくなって、ほどよく問題から目をそらせていると思う。

それは多分、「必要なこと」なのだと思う。 辛いことを直視すればつらい、なんてことは誰でもわかっているけれど、しかし「じゃあわかった。見ないようにする!」と出来る人がどれだけいるのか。そも考え過ぎてしまうタチだからこんなことになっているのに。

 

私は元来ネガティブなたちで、その癖呑気なところがある。さらに詳しく言えば、不必要なところでネガティブになって、確証もないのにポジティブになったりもする。ちぐはぐなのだ。 コップに半分入っている水は「もう半分しか残っていない」と思うし、土曜日の夜には「もうお休みが半分しかない」と思う。半分過ぎたら「もう大体無い」だ。

しかし、その割に自分の人生はこれから先も何だかんだそれなりに悪くない形で続いていくのだろうとも思っている。私は高校生の頃勉強が嫌いで、成績も散々だったのだけど、何となく受験も何とかなるだろう、と思っていた。実際美大の推薦で何とかなった。

人生単位で見ればポジティブなのだろうか?と言われればそうでもなくて、ああ、これからの人生どうしよう。という瞬間も確かにやって来る。自分のネガポジの法則性はわかっていない。

 

今回私が悩んでいたのは恋愛観についてだった。

私は人を愛することをするけれど、私にとっての愛とは「愛する」「特別に想う」で終了するものであり、「だから交際したい」「だから手を繋ぎたい」「だから結婚して生涯を共にしたい」とはあまり思わない。今のパートナーとも、最初に相手が私に惚れてくれていたので、ならば、と「好きな相手の望みを叶える」形で始まった仲だ。ちゃんと好きだ。だからどうという訳でもないだけで。

 

恋愛とは、アプローチをして、告白をして、交際して結婚して…というお決まりの流れがあって、それが当たり前の世界で、私は生きにくいような気がした。

否、正確に言えば、そんな私と付き合っているパートナーに申し訳ないと思った。パートナーはごく一般的な恋愛観を持っていて、まぁまぁ嫉妬もするタイプ。私はしない。相手が幸せということさえわかっていれば別にそれが私の隣でなくとも構わないからだ。こういう認識の違いは、多分、積み重ねればガタが来る。

 

…そんな感じのことで悩んでいた。

今はもう解消されたのかと言われればそんなことはないのだけれど、そこはいい具合に「目をそらして」いる。

生きるのに不器用だけど、器用な時もあるのだ。

 

 

 

そうだ、少しは私のメンタル以外のことも書きたいと思う。

 

私はミュージシャンのharuka nakamura氏が好きなのだけど、彼が男性であるということを今日初めて知った。

私は好きな音楽や好きな本など、好きなのは作品であって作者について大して興味はなく(ここでもある意味で"無関心"が出る!)、わざわざ調べることもないので好きなコンテンツについて驚くほど無知であることも多い。

今回もその例で、私は彼が男性であることも、具体的に「haruka nakamura氏」が今聞いている作品のどこを担当しているのかすら知らなかった。ピアノなのか?歌唱なのか?作曲なのか?作品全体として好きなら別にそのあたりはどうでもよかった。「haruka nakamura」という名前で活動するアーティストグループだったらびっくりするかも、くらいのことしか考えていなかった。

 

今日調べてみる気になったのは本当にただの気まぐれで、しかし見てみると案外どうして面白い。インタビューなどを読み曲にかけた想いを、一体どんな状況でその作品を作り上げたのか知るだけで楽しみ方が二個にも四個にも増え、あれ、なんだ、と思った。

そうだ。私はエッセイによって人の内面を知ることが好きだった。

ならば、好きな作品を生み出す人のことを知るのなんて楽しいに決まっている。 何故気付かなかったのだろう。テンプレート化したまとめサイトに載っているような学歴、出身地、交友関係なんかのミーハーっぽい情報も、彼らを生み出し育て上げた人生の一部だというなら愛しいような気がした。

そうか。周りの人々は、そこから愛しい人達の足跡を探すためにネットの海に彼らの「個人情報」を探したのか。と思った。愛してやまない作品の源流を探すために。

 

 

長々と考えるならこういうことがいいな、と思った。社会に迎合出来ない自分の話よりかは、灯台の光みたいな音楽や好きな人達のことを考えていたい。